2015年2月8日日曜日

どこまでも「広義の強制性」を絶対に手放さない朝日新聞

産経新聞の大阪正論室長が朝日新聞の慰安婦問題の検証の後味の悪さを「広義の強制性」についての未決着を中心に批判しておられます。

朝日慰安婦検証、これで幕引きか 「広義の強制性」強弁なぜ検証しない…朝日流「重く受け止める」の軽さ

http://www.sankei.com/west/news/150121/wst1501210049-n1.html

 慰安婦など一連の問題を受けて朝日新聞は1月5日、「信頼回復と再生のための行動計画」を発表した。自らを省み改革しようとする姿勢に水を差すつもりはない。しかし言論の場ではなお大いに批判せねばならない。朝日が強弁してきた慰安婦の「広義の強制性」について現在どう考えているのか、はっきりさせていないからである。

ここは今も残る大きな論点の一つです。朝日新聞はその(身内的とも言われる)第三者委員会にさえ「『広義の強制性』を持ち出したのは議論のすり替えだ」と批判されましたが、それについての見解はダンマリを貫いています。その後の報道を見る限り、はっきり言ってこれは取り下げていません。第三者委員会に批判されてなお、「広義の強制性はあった」と強弁していると言って良い態度です。

「議論のすりかえ」指摘に答えよ
 年末年始をはさんだ動きだったので整理しておく。昨年12月22日、朝日の慰安婦報道を検証する第三者委員会が報告書を提出した。多岐にわたるが、慰安婦を「強制連行」したとする故吉田清治証言の信憑(しんぴょう)性がなくなった後も記事を訂正、謝罪せず、慰安婦に「広義の強制性」があったと強調するようになった朝日の論調を、「議論のすりかえ」と断じた。
 これを受けて朝日の渡辺雅隆社長らが12月26日に会見したが、すりかえについては「重く受け止める」とするばかり。
 12月30日付社説はようやく第三者委報告に触れた。「私たち論説委員も真摯(しんし)に受け止めている」といちおうはしているが、「広義の強制性」には知らん顔をしている。それどころか、ひとごとのような書きぶりである。
 「いま、それぞれの国内で強調される『記憶』は、むしろ以前よりも偏りが目立つ。『慰安婦の多くは自発的になった』『大半は暴力的に連れていかれた少女たちだった』などの言説だ」。しかし後者の、暴力的うんぬんの言説など、その虚偽がまかり通ることになる原因を作ったのは自らの虚報と「広義の強制性」で開き直ってきた姿勢ではないのか。
 社説はまたこうも書いている。「慰安婦問題は人権問題であり、被害者らをいかに救済するかを中心にすえねばならないのは当然のことだ。国の威信をかけて、勝ち負けを競うようなテーマではない」。どんな顔をして社説子はこの社説を書いたのだろう。慰安婦問題で考えられるべきは、朝日のいう「被害者ら」の救済ばかりではない。朝日の虚報によっておとしめられた日本の名誉をいかに回復するかということなのだ。それは「勝ち負けを競う」レベルのものでは決してない。

その通り、ここも重要な点です。朝日新聞は今でも「人権侵害された韓国人元慰安婦を救済しろ」と主張しますが、自分達が傷つけ続け、今も教科書など現在進行形で傷つけている日本人の名誉は知った事ではないという態度です。朝日新聞は自らの加害性に目を向けよ!

 そして年頭の「行動計画」でも、「公正な姿勢で事実に向き合います」などとしているが、「広義の強制性」を自分たちが主張してきた事実には、何も触れられてないのである。
 この「広義の強制性」が、慰安婦問題で要の点になっていることは論を待つまい。国家の関与がそこで俎上(そじょう)に乗せられ、批判され、「性奴隷国家」などという中傷を過去、現在、将来の日本国民に負わせる理屈の根拠となるのが、この「広義の強制性」なのだ。それを強固に主張してきたのは朝日であり、この点を玉虫色にしたままやりすごそうとしているのであれば看過できることではない。
 故吉田証言が崩れ、慰安婦問題が議論される中で朝日は「広義の強制性」という強弁を持ち出した。平成9(1997)年3月31日の慰安婦特集紙面である。
 「『強制』」を『強制連行』に限定する理由はない。強制性が問われるのは、いかに元慰安婦の『人身の自由』が侵害され、その尊厳が踏みにじられたか、という観点からだ」
 同日の社説「歴史から目をそらすまい」もこう書いている。
  「これらの主張(歴史教科書から慰安婦の記述を削除するよう求める主張)に共通するのは、日本軍が直接に強制連行をしたか否か、という狭い視点で問題をとらえようとする傾向だ。しかし、そのような議論の立て方は、問題の本質を見誤るものだ。資料や証言をみれば、慰安婦の募集や移送、管理などを通して、全体として強制と呼ぶべき実態があったのは明らかである」
 これを第三者委は「議論のすりかえ」といっている。そしてそれを朝日側は「重く受け止める」といっているである。ならば、長年とってきたこのような強弁姿勢を修正する、なにがしかの言及があってしかるべきではないか。

ほんとうにその通りです。何度「広義の強制性はあったと考えるのか?」と問われても「重く受け止める」「慰安婦の実相に迫った報道をこれからも続けていく」と言うのみで開き直っています。

「狭義の強制性」(吉田清治的強制連行)は実質的に消滅しました。
あとは
「広義の強制性」も消滅すれば慰安婦問題は大きく解決に向け前進するでしょう。だから粘っているものと思います。

 いや、そもそも「重く受け止める」つもりなど、朝日にはなかったとみなさざるをえない。今年年頭の社説「グローバル時代の歴史『自虐』や『自尊』を超えて」は、国家の歴史を相対化することを訴えるとともに、いわゆる歴史修正主義批判を繰り出す。慰安婦問題に触れているわけではないが、その文脈でも十分読める。1月3日付「日本人と戦後70年 忘れてはならないこと」は例によって「戦争責任を直視」せよというものである。
 もってまわった言い方など、もはや聞き飽きた。慰安婦に「広義の強制性」があったと、朝日はいまも考えているのか、どうか。第三者委がいうようにそこに「議論のすりかえ」があったと「重く」受け止めるのであれば、それを国内外にはっきりと発信していくべきではないか。そうでなければ何と軽い「重く受け止める」か。

まさにその通り、
1 慰安婦の「広義の強制性」について、
2 第三者委員会に「議論のすりかえ」と批判され、
3 それを「重く受け止めた」
4 ではそれについての見解を国内外にはっきりと発信していくべき

です。

 慰安婦報道の「歴史から目をそらすまい」とは、朝日こそかみしめるべき言葉だろう。朝日は、慰安婦問題の「責任を直視」しなければならないはずである。(大阪正論室長)

この大阪正論室長の記事はまさに正論です。プライドが高い朝日新聞は他社には居丈高に「責任を直視せよ」といつも言いますが、いざ自分の加害性の責任になるとそれに正対できずにごまかし続け逃げ続けているのです。

吐いた方がスッキリすると思うんですが。

2 件のコメント:

  1. はじめてご連絡します。すごいブログですね。著者の意気込みがよくわかります。これから、毎日、勉強させていただきます。よろしくお願いします。 赤峰和彦

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    1. コメントどうもありがとうございました。こちらこそよろしくご指導ください。貴ブログも楽しみにしております。

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