2015年2月25日水曜日

河野談話を守るべきか?

「慰安婦問題」の流れには朝日新聞や韓国の動き、日本国内の反日勢力の暗躍など色々な側面がありますが、現在最も大きな足かせになっているのが河野談話です。

これをどうすべきかは色々な議論があります。

「河野談話は素晴らしい、堅持すべきだ」
「見直し・破棄は許さない」
「撤回すべきではない」
「良くはないが、触れるのはまずいので触れるべきではない」
「上書きすべきだ」
「破棄すべきだ」

などなど色々あります。これをどうするかは日本国内だけで大論争になる問題ではなく、これをどうかしようという時点で、韓国・中国、さらにはアメリカあたりも牽制をしてきます。

この一環として2014年に安倍政権が「河野談話そのものは見直さないが、河野談話を作成した過程を検証する」という事をやりました。そしてその後河野談話が結論ありきの実態に即さずに韓国側とすり合わせをして作成されたものであったという事が明らかになりました。

(産経新聞)
http://www.sankei.com/politics/news/140621/plt1406210030-n1.html

さて、今後どうすべきでしょうか。これはなかなか難しく、単に破棄すべきか、別談話で上書きすべきか、今年に出るであろう安倍談話で上書き的に包含すべきか、おそらく戦後史に残る高度な政治判断が必要であり、正直これがベスト、というのは難しく私には断言はできません。

ただし、「河野談話を堅持する」という選択肢だけは無いとは言えます。

正論3月号より引用します。

秦郁彦先生「『~日本は何度も謝罪しています~』式に応対したらしいが、逆効果を招いた。『謝罪を重ねたことはそれに見合う悪行をした』と受けとめられたのである。」

呉善花教授「日本人は、謝罪があれば過去は水に流しますよね。日本人の美学、美意識でもありますけれども、このような発想が韓国や中国に通用すると考えてきたところに問題がると思うんですね。」「韓国や中国では、謝れば負けです。謝罪を受けたら水に流すという発想はありませんから、謝ったほうは永遠に罪人として生きていくことになります。この文化的な違いを理解せず、日本人的な発想で安易に謝罪してしまったことが、この問題をここまでこじらせてしまった大きな原因でしょう。」

という見方があります。その通りです。ここは大変重要です。

河野談話は当時の日本側の意図や配慮、阿吽の呼吸を期待するなどは関係なく、「日本は悪い事を本当にしました。だから反省し、謝罪します」と国際的には理解されています。当たり前です。

これを
「本当は事実ではないのだが、韓国の顔を立てるために・・・」や
「河野談話では朝鮮半島で強制連行があり、軍が性奴隷にしたとは文書中では言っていない」

などという説明は相手に通じません。当たり前です。

また、河野談話を堅持せざるを得ない現状において慰安婦問題を「いや、本当は強制的に性奴隷になどしていない」と主張せず「日本は何度も何度もちゃんと謝ってきました」と説明しても相手は「ああ、何度も謝っているのなら事実という事か」となります。「やっぱり日本は性奴隷国家だったと自分で認めているじゃないか」となるのが普通です。いくら対外広報予算を増やそうが、「慰安婦の事は誤解です」とせずに従来の「日本はちゃんと謝って来ました」路線では誤解は深まるばかりでしょう。

ですから、「慰安婦問題」を解決するためには河野談話をどうにかしないといけません。多くの方が理解されている事ではありますが、間違いなくこの点が今後の焦点となります。

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