2015年2月20日金曜日

植村隆さん徹底研究

(長いです)
最近朝日新聞を巡り、訴訟が飛び交う状況(植村氏→2件、対朝日新聞集団訴訟3件)となっていますが、その先鞭となった元朝日新聞記者の「慰安婦記者」(「慰安婦は宿命」だそうですね)植村隆氏について再度考えてみましょう。先日の産経新聞が同氏の故郷での講演会(櫻井女史を訴える直前)を詳細に取り上げていますので、その論点を細かく検証します。

http://www.sankei.com/west/news/150216/wst1502160002-n1.html

「娘の顔写真ネットに」慰安婦報道の元朝日記者、怒りの講演 提訴は「言論を超えたから」

 朝日新聞記者時代に慰安婦報道にかかわった北星学園大(札幌市)の非常勤講師、植村隆氏(56)が今月8日、高知市で「『慰安婦報道』と言論の自由」をテーマに講演した。自分の記事が週刊誌などで「捏造(ねつぞう)」と報じられ、名誉を傷つけられたとして、出版社などに対し、損害賠償などを求める 訴訟を起こしている植村氏。

今でもずっと違和感を拭えないのは、植村氏が謝罪や反省もないまま「自分の名誉を傷つけられた」と自分や家族の被害だけを被害者然として声高に主張している姿勢です。では、自分や自分の会社がその名誉を傷つけてきた数多くの日本人、元軍人、元警察官(官憲)、元総督府公務員などについて思いを馳せる事は無いのでしょうか?大変な被害ですよ。私も恥ずかしいですが朝日新聞の報道で祖父世代が悪辣な犯罪者達であったと疑っていた時期がありました。植村氏の被害が無いとは言いませんが、加害者として謝罪の一言ぐらいあっても良いのではないかと思います。

講演では「私は捏造記者ではない」などと一連の批判に反論。家族までもが嫌がらせを受けている事実も明かし、声をつまらせながら「許せない」と怒りをあらわにした。講演の主な内容は以下の通り。

「許せない」ですか。同様に「植村氏や朝日新聞を許せない」と感じている日本人はたくさんいると思いますね。3件もの集団訴訟をご存じでしょう。何度も言うように家族への嫌がらせや本人への違法な行為はいけませんが。

「私は吉田証言の記事とは無関係」

  朝日新聞は慰安婦報道で激しいバッシングを受けた。このうち、吉田証言(注釈1)は虚偽だったとして関連の18本の記事はすべて取り消された。しかし、私は、この吉田証言についての記事に全く関係していない。また、「慰安所設置に軍関与」というスクープ記事についても関係ない。
 しかしながら、朝日新聞バッシング本には「吉田氏の記事を書いた植村氏」などと書いたものまである。こうしたデマで、慰安婦報道の主犯は私であるかのように思う人がいる。

「吉田清治に関係ない」?「1992年1月の『軍関与』記事に関係ない」?
はい、そんな事知っていますよ。時系列的にそれらを繋いだのが植村氏の記事ですね。確かに一般レベルでは混同して植村氏が全ての主役であるかのように思っている人もいるのは事実でしょう。しかし全てを植村氏がやったり、全ての指揮を執ったわけではないのは知っています。その辺りの構図は池田信夫氏も指摘の通りですが、


http://ianfucwi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_16.html

実態は植村氏は「一連の流れの中で重要な役割を果たした何人かの記者の一人」というところだと思います。「主役ではないから罪が無い」と考えているのならばそれは間違いです。自分が主役ではないなら主役に文句を言えば良いでしょう。

 
他の記者も同じ概念だった

 私は平成3年に元慰安婦について2本(注釈2)の(署名入り)記事を書いた。(このうち元慰安婦の証言を取り上げた記事で、慰安婦と女子挺身隊を混同した事実誤認に対する批判があるが)当時、韓国で慰安婦はほぼそのまま女子挺身隊を指した。


はい、確かに朝鮮半島では慰安婦と挺身隊に戦時中から混同があったようですし、韓国の最大の反日慰安婦団体名が「挺身隊問題対策協議会=挺対協」である事からもそういう事はあったかも知れません。しかし、だからと言って植村氏の日本向けの記事が「挺身隊の名で慰安婦を連行」と事実と全く異なった事を書いたのは事実は変わりません。韓国での呼び方がどうあれ、日本の新聞において「慰安婦=挺身隊」という事実と全く異なる事を広めました。

 

(同様の表現をした他社の記者の過去記事などを示しながら)当時の記者はそういう概念だった。

はい、ではこの言葉を進呈します。あなたの愛する朝日新聞の1997年3月31日の慰安婦に関する社説「歴史から目をそらすまい」に 「ほかの国は謝っていないからと、済まされる問題でもない」というものがありましたね。

また、私は「連行」と書いたが「強制連行」とは書いていない。

ほう、では「連行」について調べてみましょう。
朝日新聞がメインでやっているコトバンクからです。

デジタル大辞泉の解説
れん‐こう〔‐カウ〕【連行】
[名](スル)本人の意思にかかわらず、連れて行くこと。特に、警察官が犯人・容疑者などを警察署へ連れて行くこと。「犯人を―する」


大辞林 第三版の解説
れんこう【連行】
( 名 ) スル
(犯人などを)つれていくこと。 「容疑者を-する」


普通の日本語能力があれば「連行」という言葉が「強制性」の意味を帯びる事は分かります。「連行」と「連れて行く」では似ていても意味は違います。「連行」は通常ネガティブな印象を与える言葉でもあります。また、公権力の介在を想起させる言葉でもあるのは上記の通りです。

 
なぜ、私だけが捏造と言われなければならないのか。

はい、確かに、植村氏だけが批判されるべきだとは思いません。植村氏同様に日本社会や日本人に害を与えた他の朝日記者や当時の上司、朝日新聞社の組織としての責任もあります。実際「朝日新聞が慰安婦問題を捏造」と会社としても批判されているではないですか。

また、植村氏が批判を免れるわけではなく、以下の点で批判の対象になるのも仕方が無いと思います。しかもこれらについての疑問に誠実に答えていません。

1 世界で初めて実名で名乗り出た元慰安婦である金学順さん(記事中では匿名)を記事で紹介した記者その人である。しかも8月の記事も12月の記事も、意図的であったかどうかはともかく、事実とは大きく異なり誤解を招く形になっている。(「挺身隊として連行」、キーセンに触れず、「地区の仕事をする人」等)
2 意図的であったかどうかはともかく、日本政府を相手に訴訟を起こす予定(8月記事)、また訴訟中(12月記事)の妻の母に結果的に利益になった可能性の高い誤解を招く記事を書いた。(最終的に判決の行方までに影響は及ぼさなかったが、何らかの影響はあり得たと考えるのが自然である)
3 今回の高知での講演会も含め、納得のいく説明もできぬまま未だに謝罪をしていない。(アウェイのメディアの取材から逃げ続ける事を含む)


家族のために書いてはいない

 〈一方、植村氏の義母が、元慰安婦らを支援する韓国の団体の幹部だったことから、裁判が有利になるために記事を書いたのではないかとの指摘=注釈(3)=がある。それに対し植村氏はこう答えた〉


 私が慰安婦問題を書いたのは、家族のためじゃない。歴史をきちんと見つめ、記録していこうという姿勢で取材をしている。

「家族のためじゃない。歴史をきちんと見つめ、記録していこうという姿勢」ですか。ご本人はひょっとすると本当にそういう気持ちだったのかも知れませんが、実際の行動や記事はどうでしょうか。意図的であったかどうかはともかく、結果的に日本政府を相手に訴訟を起こす予定(8月記事)、また訴訟中(12月記事)の妻の母の利益になる可能性の高い、かつ事実を正確に伝えない、誤解を招く記事を書いたのが現実の行動ですね。

朝日の代表選手としてバッシング

 〈講演には市民ら約300人が集まり、関心の高さをうかがわせた。植村氏は終始熱い口調で語り、参加者は熱心に聞き入った。反論はさらに続く〉


  どうして私がバッシングされるのか。まず、私の実名の出た署名記事であり、その内容が、元慰安婦の証言を取り上げ、その後、証言が次々に出ることになって、国際問題化したことがあるだろう。そこに、朝日新聞の歴史認識などについて、良しとしない人々が、私をその代表選手としてバッシングしているのではないかと思う。

自分の記事が口火となって国際問題化した自覚はあるんですね。「代表選手」というのは的確な表現で、確かにそうかも知れません。当時の年齢や職位から見ても、植村氏ではなく、指揮した中心人物が別にいたと考えるのが自然ですが、「朝日慰安婦大誤報」関係者で同氏が最も有名で分かりやすい代表的な存在であるのは事実でしょう。ご自分が不当に?批判の中心になるのが嫌なのであれば、「中心人物は自分ではない、本当は○○さんが中心人物であった、自分は○○さんに言われてやっただけだ」と隠さずに素直に事実を話せば良いのではないですか?そうしたら世間の批判もその黒幕の人物や朝日新聞社に行くかも知れませんね。

大学も被害者だ

 昨年発売された週刊誌で「慰安婦捏造」の表現を使った見出しの記事が報じられた。この記事の中で取り上げられた私が、(現在勤務する大学とは別の)大学教授になるということがわかると、発売直後から、抗議の電話やメールが(就任予定の)大学にどんどん来た。


 説明すれば大学側にもわかってもらえると思っていたが、事態は私の記事が正しいとか間違っているとかの問題ではなくなっていた。その後、合意で契約を解消した。いろいろ考えたが、大学も被害者だろう。

そうですね、(神戸の)大学も被害者でしょう。また北星学園大学もそういう側面はあるでしょう。では加害者は誰でしょう。大学に対して不当な行為があったとすれば、その被害をもたらしたのは狭義では不当な行為を行った人達でしょう。しかし、その被害を呼び込んだのはどなたでしょうか?清廉潔白で全くの冤罪であるならともかく、広義にはご自身ではないでしょうか?ここでも自らの加害性についての認識が欠落しています。

 
許せない娘への中傷

 ある日、嫌がらせの電話が家にかかってきた。その後もかかってきたので取らなくなった。(勤務する大学へも)「私をやめさせろ」というメールが増え、「やめさせなければ学生を痛めつける」という脅迫まであった。


 本当に大変だったが、それだけではない。昨年には娘の顔写真がネットにさらされ、かなりひどい言葉を書き込まれた。(声をつまらせながら)私に対するバッシングはともかく、私と関係のない娘へのものは許せない。闘うしかないと思った。

確かに許せません。ご家族への攻撃は良くありませんね。やめましょう。子供は好きでその家に生まれたわけでもありませんしね。ご家族への不当な攻撃に対しては堂々と闘えば良いでしょう。

他方、「大学への不当な・違法な攻撃」と「私学助成金という税金も入っている・また私学と言えども公的な存在としての大学への正当な質問や抗議」とをごっちゃにしていませんか?前者は良くないとしても、後者も無くせという事でしょうか?企業の不祥事や疑問があっても消費者や被害者、納税者が問い合わせや意見ををするのは「不当なバッシング」であって、一切黙っていろという事でしょうか?違いますよね?


 一方で、大学が私をクビにしないよう応援メールも昨年9月ぐらいから広がっている。私は捏造記者ではない。不当なバッシングには屈しない。

応援団の動きがすごいですね。なにせ弁護士だけでも見ても170人もの大弁護団です。いま日本でこれほど手厚く守られている人も少ないですね。大学当局もさぞその力を感じたでしょう。
「捏造記者」の定義や「不当なバッシング」の定義はこのブログでも考えて来た通り「はい、そうですか、分かりました、そうなんですね」とはならない色々な見方がある話です。

言論を超えたから

 〈植村氏は最後に強い調子でこう語ると、参加者から大きな拍手が起きた。その後の質疑では参加者から「なぜ、裁判でなく言論で対抗しないのか」という質問が出たが、植村氏はこう答えた〉
  私の記事に対する批判そのものも最初の「事実誤認」というものから「捏造」へと変わっていった。非常に激しい個人攻撃へとなっていったことがまずある。そして、学生を痛めつけるという脅迫や、家族への人権侵害が起きている以上、議論は成り立たない。言論(での対決)を超えた部分があり、司法の場で判断してほしいと思った。それが(提訴の)理由です。

はい、意図的かどうか分かりませんが、また混同が来ました。本当の意味での「言論対言論」の勝負をせずに逃げ回っただけで、司法に行きましたね。対決なんてしていないではないですか。厳しい追及をされない安全な場所で自分の言いたい事だけを主張するのはきちんと言論の対決をしたことにはならないんですよ。「捏造ではない」「義母のために記事は書いていない」「(既知の)吉田清治については書いていない」と繰り返すばかりで、今自分が裁判で訴えている西岡氏や櫻井女史、産経新聞あたりと全く論争していないじゃないですか。世間では「議論で勝てないからいきなり訴えた」と見ますよ。
ジャーナリストとして論争をやり尽した上でそれでも犯罪被害があればそれは別途法的措置を取れば良いでしょう。

それと、「私の記事に対する批判そのものも最初の『
事実誤認』というものから『捏造』へと変わっていった。」というのは初耳ですね。植村氏を当初「事実誤認記者」と批判していたのが「捏造記者」に変わった?西岡教授が批判の表現を強めた事を指すのでしょうか?「事実誤認」から「捏造」に変わったのは具体的にいつの事でしょうか?世間一般の認識は昔から概ね変わらないと思いますが。

それから、「人権侵害」という言葉が出ました。確かに植村氏やその周囲が受けた人権侵害もあるかも知れません。しかしそれは植村氏や朝日新聞が日本人の名誉や権利を侵害してきたことへの免罪符にはならないんですよ。


 〈講演は質疑を含め約2時間に渡った。当日、高知県警は抗議行動などで混乱しないよう会場周辺の交通規制を実施。会場の入り口でも関係者らが、入場者をチェックする厳戒ぶりだった〉


 注釈1・朝日新聞は昨年、「済州島で強制連行した」などとする故吉田清治氏の元慰安婦に関する証言は「虚偽」だったとして、記事を取り消した。
 注釈2・1本目は平成3年8月の「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」などの見出しがついた記事。2本目は同12月に「かえらぬ青春 恨の半生」などの見出しをつけ、日本政府を提訴した元慰安婦について書いた記事。
 注釈3・朝日新聞の第三者委員会は昨年12月、植村氏の記事については「縁戚関係にある者を利する目的で、事実をねじ曲げた記事が作成されたとはいえない」とした。

最後に全体の感想です。植村氏の涙ながら?の訴えは、どうも元慰安婦のおばあさん達が涙ながらに感情的に被害を訴えるのに重なって見えます・・・

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